教育の本来のあり方とは?

 

元文部科学省事務次官の前川喜平さんの講演会に行ってきました。

 

 

前川さんは、昨年、「みんなの学校」全国大会で、大空小学校初代校長の木村泰子先生とのトークセッションを聞いて、元役人さんなのにおもしろいなと思った方。

 

 

今回は「すべての子どもの学習権を保障するために」というタイトルでした。

 

障害のある子もない子も、外国籍の子も日本国籍の子も、だれもがみんな学ぶ権利を保障されることが大切。

それが保障されるような教育を提供することの必要性。

 

そんなテーマでした。

 

 

本題に入る前のウォーミングアップ的に、憲法で保障されている「教育を受ける権利」についての話や教育の目的の話も深かった。

 

今の学校教育は戦前、お国のために戦う兵隊を育てる目的から出発している。

だから、みんなと同じことを同じようにできることや、言われたことを言われたとおりにやることがすごく重要視されてきた。

 

でも、本来の教育の目的って、ひとりひとりが自分らしくいきいきと生きるための力を身につけること。

 

人は学ぶことによって、人間らしく生きられる。

(搾取とか差別とかから自分を守るとか、自分の興味関心や能力を生かす場を見つけるとかね)

 

つまり「個人の尊厳に立脚した教育」であるということ。

「個人の尊厳」って、人はみな価値ある存在だという価値観。

憲法で最も大切にされている価値観でもある。

 

ソーシャルワークにおける価値基盤もここ。

 

だから、本来、教育と福祉って同じ方向を目指しているものなんだよね。

 

ひとりひとりを個人として尊重して、その人らしく生きるための力をつけることが教育の目的だとすると、能力というのは有る無しとか高い低いで測るべきものではなく、ひとりひとり違う「個性」のことと捉えるのが本来。

 

そして、学びというのは知識を詰め込むことではなく、自ら学び自ら考える力を身につけること。

 

 

要するに、教育って幸せになるための手段の一つなんだよね。

決して、押し付けられるような類のものではない。

いやいややるものでもなく、主体的に自分のために学べる場が保障されるべきもの。

 

その「場」は既存の「学校」だけでなくていいというのが前川さんの考えだそうで、義務教育(前川さんは「無償普通教育」という名に変えたいそうな)が学校の外にあってもいいと仰ってました。

フリースクールや塾などでの学びが正式に認められ、その費用が利用者負担ではなく公費負担で保障されるべきとのお考え。

 

実際に大阪府池田市や東京都世田谷区などで、公設民営のフリースクールが登場しているのだそうです。

そうなると、子どもも選択肢が増えていいなと思う。

 

普通に誰にとっても選択肢が増えるということが、そのまま障害のある子や外国にルーツを持つ子などを排除しない教育にもつながる。

 

これは軍隊式教育では実現しないことで、「みんな違ってみんないい」「違いを認めあう」という人権尊重が根底にないといけない。

 

「それぞれの個性に応じて違う学びだけど、一緒に学ぶ」というのが、学校のあるべき姿ということでした。

 

これって社会そのものだよね。

学校は社会の縮図。

 

学校みたいに自分の意志によらないで集まった多様な集団での経験って、その後、社会で生きていくためにすごくいい場所だと私は思っている。

 

世の中にはいろんな人がいること。

いろんな価値観があること。

いろんな方法を考え出せること。

一緒に楽しんだり、力を合わせたりできること。

思いを分かち合えること。

助け合えること。

 

純粋にそういうことを学んで、人と生きるって素晴らしいことなんだなって学べる場であってほしい。

 

あらためて、そんなことを思いました。

 

 

すべての人にとって生きやすい社会のための、すべての子どもにとって意義のある教育を。

 

そこに向かって、明日も頑張るのだ(^^)