わが家の受験生さん。
ひとりっ子なので、ちゃんと自分専用の部屋も机もあるのに、いまだにリビング学習www
いつまで?
ゆえに、最近はダイニングテーブルが常時この状態。
(積まれているものが、どの程度使用されているかは不明…)
わが娘さん、二学期の内申点がこの時期にあり得ないほど下がりましてん。
どれくらい下がったかっていうと、学期末の個人懇談で、本人にとって滑り止めの滑り止めの滑り止めである私立の第二希望の受験校の変更を勧められるくらい
愛知県は公立高校を2校受験できるので、公立2校と私立2校を受験するつもりで、私立の2校目は受験の練習くらいの気持ちだったのに、そこを変更って!!笑
そのために、わざわざ個人懇談に二回行く羽目になり、事前に内申下がります宣告されてきた…そんで、宣告通り大幅に下がるという現実
本人もさすがに焦りが出てきて、意識がずれてしまって。
それに伴って、私の意識もずれるわけです。
それまでは、受かった時の妄想しかしてなかったのに、受からないかもしれない不安に二人して飲み込まれた感じ。
なので、ちょっと自分の気持ちを振り返ってみた。
私自身は別に本人がどこの高校に行こうと、本人のことなのでどうでもいい。
どこの高校に行けたとか行けなかったとかで、人生の幸せは左右されないから。
そこはあくまで本人次第。
それは、本人もそう断言していて、私も同じ価値観。
だけど、本人が志望校に合格できないかもって不安に思っている様子につられて、ちょっと自分も不安になったりする。
なにに??
…出てきたのは、「志望校に行けずに落ち込んでいる娘を見るのが嫌だな」だった。
あと、どこでもいいと言いつつも、第二志望より第一志望の高校の方が聞こえがいいなあっていう気持ちもゼロじゃなかった。
見栄とか体裁ね。何割かはそれも混じってた(笑)
つまり、どっちも自分のエゴです!!!
ぜーんぜん、子どものことを思ってとかじゃないから
子どもの「問題」のように見えて、自分の「問題」
「問題」はそれを「問題」と思っている人の「問題」ですっていう心屋のアレアレw
はい、まさに~~。
仕事でも、受験に限らず、テストの順位とか、進学先とか職業とか、親からいろいろ口出されている子は少なくない。
私が見ている限り、それらは親が育ってきた環境の中で培われた親の価値観に基づいているものばかりで、純粋に子どものためを思った時には本人の好きなようにさせてやる以外の選択肢ってないよなあって思う。
でも、親自身が「どんな自分でも大丈夫」って思えていないと、子どもに対しても「どんなあなたでも大丈夫」って心底言えなくて、ついアレコレ言いたくなっちゃうんだよね。
ちょっとでも学歴は高い方がいいとか、資格があった方がとか、手に職をとか、「Be」の不安を「Do」や「Have」で埋めようとするやつ。
親の見栄や体裁で子どもをいい学校に行かせようとするのなんて、子どもの「Do」や「Have」で親の「Be」を埋めようとしてるわけだから、なかなかだよね←自分。。。
「人はみな、ありのままで価値がある」ってソーシャルワークの土台の価値観だけど、自分自身で体現するのは、まだまだ道のりは長いなあと改めて思った次第です。
さて、本人は果たしてここから巻き返しを図れるのかどうか!?
そして、どんな結果にどんな感情が湧くのか、私!!
泣いても笑っても残り2ヶ月余りの受験生家庭からお送りしました