学校とは

 

先週末、「日本学校ソーシャルワーク学会」に参加してきました。

 

全国大会ですが、今年はたまたま愛知県、しかも母校の大学で開催されるとのことで、モチベーションが低くても参加しやすい。

 

従来からある学校というシステムにおいて、ここ1~2年の間に自分が身につけてきた新しい視点や考え方をどう生かしていくのか。

それがなかなか見いだせず、もやもやもありつつの参加。

いや、そもそもそんな大層な話でもなく、SSWとしての知識・技術が不足しすぎていて、活動の機会を広げられていないともいいますが・・・。

 

参加してみて、一番よかったのは二日目の分科会でした。

 

「学校という場をめぐる諸問題に私たちはどう向き合うのか」というテーマの分科会だったのですが、発達心理学・法心理学の浜田寿美男先生の基調講演がほんとうに素晴らしかった!!

 

 

以下、浜田先生の講演内容抜粋

 

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今日の子育て観、教育観では「子ども達は、大人から守られるなかで、将来必要となる力を身につける」と考えられているが、それはたかだか、ここ50年くらいの話で、それ以前の子どもは守られっぱなしではなかった。

 

農業で忙しい家族の一員として、農繁期には学校を休んで農作業を手伝い、子だくさんの家庭の中で年長の子どもが幼い弟妹の世話をしていた。

これがすごく大切。

子どもが自分の力を使って周りから喜ばれ、そのことを自分も嬉しいと感じる。

それにより、自分が育つ意味を実感する。

 

そもそも、身につけた力は、それを使って生きていくこととセットになって初めて意味を持つ。

昔はその時その時で必要な力を暮らしの中で使ってきた。

 

でも、今の子どもは「失業」している。

身につけた力は、貯めて、将来発揮するものとされている。

でも、どこでどう発揮する?

 

今の学校制度における「発揮」とは、身につけた学力を成績・学歴に交換して初めて意味をなす構図になっている。

読み書きそろばんなら、それ自体を暮らしの中で発揮する機会があるけれど、微分積分やら因数分解やらを日常生活で使うことはほぼない。

それ自体に使用価値はない。

 

これってお金と一緒。お金もそれ自体はただの紙。交換して初めて役に立つ。

学校で学ぶことも、この交換価値に支配されているといえる。

 

 

この身体で生きているということは、今ここで生きるということ。

今手持ちの力を使ってしか生きられない。

今手持ちの力が足りなくて、やりたいことがやれないなら、「やれるための力をつけよう」ではなく、今ある力でどう生きるのかを考えるべき。

 

そうやって今を生きた結果、明日新しい力が身につくことはある。

つまり、発達は結果。

目標ではない。

目標にしてしまうと、今を見失う。

 

子どもは大人になるための準備期間ではない。

子どもは子どもの本番を生きている。

将来のためにどれだけ力をつけていくかではなく、今ある力をどう使って生きるか。

手持ちの力を生かせる場を考える必要がある。

 

そのために、学校を学力・学歴保障の場所ではなく、生活の場にしなくてはならない。

子どもが任されて自分の力を使う場をつくることで、この子の役割は何なのかを探す場所が学校。

学校は学力・学歴保障の場ではなく、生活の場であらねばならない。

 

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医療ソーシャルワーカーを辞めて、新しい世界を見聞きしたように思っているけど、一周まわって同じことを言っているんじゃないかな。

 

ソーシャルワークのそういうところが好き。

結局は私が行動するかしないかの問題。

 

「今ある力を生かして、今ここで生きる 」

 

そのための支援なのだと改めて学び直した週末でした