なぜソーシャルワーカーをやっているのか?

 

今年度から勤務校が変わったので、

新しい先生と話す機会が多い。

 

先日も

とある先生と生徒への接し方について

めちゃくちゃ話し込んでしまったのだけど

その時に、

「なぜソーシャルワーカーになろうと

思ったんですか?」って聞かれた。

 

もう、今になると

あんまり聞かれない質問。

 

いつも答えるのは、

「中学生の時に

医療ソーシャルワーカーを紹介する

テレビ番組をみて興味を持ったから」

っていうのなんだけど、

この時は話の流れ的に

もっと奥深い気持ちのことを

伝えたい気がしたので改めて考えた。

 

 

最初は、

人から感謝されたい

人に喜んでもらいたい

みたいな気持ちが大部分だったと思う。

 

しかも、承認欲求でね(笑)

 

誰かから必要とされることで

自分の価値を見出したかった。

(個人的には援助職者あるあるだと思っている)

 

 

その気持ちが強かった時は、

よかれと思ってした支援が

こちらの期待するようには

相手に受け取ってもらえなかった時に

怒りや落胆や傷つきがあった。

 

 

でも、次第にそれは抜けていって、

相手の人生は相手のもの

相手の価値観を尊重する

っていう、

本来ソーシャルワーカーとしてあるべき

人間尊重の価値基盤が

育っていったように思う。

 

 

例えば、病院時代の経験でいうと

救急搬送されてきて入院になった

ホームレスの方の生活支援っていう

相談が度々あった。

 

入院中に役所と調整して

生活保護を申請したり、

退院後の入所先を確保したり、

入院を機に安定した生活を

営めるようにって支援をするんだけど、

退院して入所した施設を

すぐに出ていってしまったり、

ひどいときは退院したその足で

役所に行くことさえせずに

行方をくらませてしまったりする人が

まあまあいたんだよねー。

 

そういうのも、若かりし頃には

せっかく調整したのに…って

憤りたくなる時もあったりしたけど、

もうある時期からは

それがあの人のしたい生き方だよね♡

でおしまい。

 

 

それよりも、

逆にそういう困難な状況にある人が

自分らしい安心安全な暮らしを取り戻す

サポートができた時は一番嬉しかった。

 

 

「ありのままの自分は価値ある存在」

このあり方から離れてしまっている人ほど

困難な現実に直面していて、

そういう人が自分らしく生きられるよう

一緒に考えるのは本当にやりがいがある。

 

 

とはいえ、

どうしてそれを病院ではなく学校で

大人ではなく子どもに対して

ソーシャルワークをしたいと思ったのか。

そこはもう感覚的なもので

言語化は難しいかもしれない。

 

 

ただ、病院では年を経るにつれて

システマティックに退院支援を行うことが

業務の中心になっていきがちだった中、

スクールソーシャルワーカーというのは、

「子どもの最善の利益」

「子ども自身の思い」

を大切にしていることは魅力的だと思った。

 

あと、

私にとっての学校生活は良きものだったので、

本来、子どもたちの魅力や能力が

発揮され伸ばされる場であるはずの学校が

その子らしく生きることを妨げるような

存在ではあってほしくないと思った。

 

 

そういうわけで、

私は現在、学校と保育園で

ソーシャルワーカーをやっています。

 

 

長いわりに何のオチもない話(笑)

いつもの通り、

私がいかに人が好きで

ソーシャルワークという仕事を好きか、

ただそれだけを語ってしまいました。

おつきあい、ありがとうございました!