映画『プリズン・サークル』レビュー

 

敬愛する山下英三郎先生が

Facebookで紹介されていた

プリズン・サークル」を観てきました。

 

 

 

 

この映画は日本ではじめて

刑務所内を撮影したドキュメンタリー。

 

島根あさひ社会復帰促進センターという

犯罪傾向の進んでいない男子受刑者を

受け入れる新しい刑務所で取り組まれている

TC(セラピューティック・コミュニティ)という

回復プログラムを取り上げている。

 

 

TCは受刑者同士の対話をとおして

受刑者たちが自分と向き合うことで

更生を促していくプログラム。

 

映画の中では4人の受刑者を中心に

プログラムの様子が丁寧に描かれている。

 

 

受刑者たちはみな子ども時代に

虐待やいじめ、暴力、家庭不和など、

つらい経験をしてきた人たちだった。

 

その経験をどうにかサバイバルして

当たり前の暮らしを営むためには

そこで味わった感情を閉じたり、

否定したり、すり替えたりしなくては

いけなかった。

 

恐怖や不安をかくすために、

自分自身も暴力をふるわなければ

自分を守ることができなかった。

 

人とつながる手段がお金しかなく

お金を得ることが人生の中で

最優先事項になってしまったために

犯罪を犯してしまった人もいた。

 

 

加害の前に被害があったこと。

そこでいろいろな感情を味わったこと。

 

まずは、そこを向き合わないと

自分の犯罪と真に向き合うことはできず、

更生の道にもつながらない。

 

 

でも、それはそれは重たい道のり。

 

こうした経験や思いを話すことは

恥ずかしさもあるだろうし、

怒られたり、否定されたりも

たくさんしてきたのだと思う。

そもそも、誰も耳を貸してくれさえ

しなかった人も多いように思う。

 

それを、刑務所内のプログラムとはいえ

お互いを尊重し合い、語り合い、

認め合っていくプロセスが素晴らしかった。

深くまっすぐな自己開示の姿だった。

 

 

受刑者の一人が対話の中で、

「こころ休まる安全な場所がなかった」

と言っていたのが、印象的だった。

「TC的にはサンクチュアリがないかな」って。

 

サンクチュアリ=聖域・保護区域

 

安心安全な居場所がない。

こころを許せる相手がいない。

 

 

人が犯罪に手を染めてしまう背景には

みんなこの気持ちがあるんじゃないかな。

 

 

TCをとおして、自分と向き合うことで

彼らは過去の経験と

そのとき味わった感情を

見て、認めて、受け入れる。

 

それは赦しだと思った。

そんな自分を丸ごとゆるす。

犯罪を犯してしまったことも含めて。

 

ほんとうの許しというのは、

他人から与えられるものではなく、

自分自身が許すことなんだと思った。

 

そして、それも含めて生きていく。

カタカムナでいうところの

いだきまいらす」ということだと思う。

 

 

人は弱いけど、強い。

強いけど、弱い。

だから、一人ではなく人と生きる。

 

 

曲がりなりにも対人援助の仕事を

しているものとしては、

誰かの安心になりうるような関わり方が

できているのか、

間違っても誰かが心を閉ざすきっかけに

なるような関わりはしていないか、

常に問うていかないといけない。

そんなことも思いました。

 

 

あと、このTCプログラムについて

刑務所の刑務官の人たちは

どう捉えているのか気になった。

 

私も以前、豊橋刑務支所の見学に

行かせてもらったことがあるけれど、

番号で呼ばれ、四六時中監視され、

厳しい規則を強いられ、管理される

その空気感はやっぱり異様だった。

 

それは映画の中でも同じで、

TC以外の時間は私語厳禁だし、

事細かい所作や規則がたくさん。

 

これって何のためなんだろう?

人権って何だろう?

 

TC経験者の再犯率が下がっていたり

実際に目の前の受刑者が変容したり

そういうものを目の当たりにしても

厳しい指導管理が更生に必要だと

ほんとうに思っているのかな。

 

なんか学校と相通じるところが

ある気がして、やるせなかった。

 

愛からか恐れからかってことだよね。

愛でしょ、愛!!!