昨日、クイズ番組で「Mother」っていうドラマが取り上げられていた。
私はドラマはほとんど観ないので、存在は知っていたけど、内容はちゃんと知らなかった。
ドラマの内容はここでは割愛するけど、違和感を感じたところがあって。
子ども自身が、わかりやすく助けを求めたり、
実母との決別をきっぱりと選択したりって、
すごくレアケースなんじゃないだろうか。。。
以前、客観的に見たらどう考えても虐待と言っていい対応を受けていた子に出会った。
でも、本人はそうとは思っていないし、
現状をどうにかしたいとも思っていない。
むしろ、このままそっとしておいてと懇願する。
それは、本当の意味では本音ではないのかもしれない。
恐れとか不安とか、いろんな思いや事情があいまって、
現状維持が、本人が考えうる一番ましな選択肢になっているだけかもしれない。
でも一方で、
このまま家族と一緒に暮らしたいってのは、れっきとした本音でもあると思った。
人の気持ちって、そんなに簡単に割り切れるものじゃない。
痛いことされた
悲しいことされた
だからって、すぐに「母親よりも優しくしてくれる他人」って思えない子もいっぱいいると思う。
もちろん、そう思って、
それを助けてくれる人がいて、
新しい環境で安心して暮らせる子もいっぱいいると思う。
いいとか悪いとか、
合ってるとか間違ってるとか、
そういう二元論的な話じゃなくて。
黒か白かで答えを出せないのが人の気持ちなんだな。
そのときできることって、
ただ寄り添うことだけだな。
その家族の中で
その体験を胸に抱えて
これから、どう生きていくのか。
それを選ぶのは、その子自身。
希望を持って
望む未来を描けるように
あたたかさと優しさとユーモアを提供すること。
受け止めること。
励ますこと。
褒めること。
ただ、いること。
親に叩かれる→虐待→悪いこと→児童相談所に通告
だけじゃない大切な姿勢。
(危機介入として、それもすごく大事だけども)
割り切れない気持ちをどう感じて、寄り添えるか。
割り切りすぎているように見えたドラマと、
割り切れない気持ちを抱く子のコントラストから
改めて考えてみた。
答え出ないけど。
今日はブログに書くか書くまいか、ちょっと悩んだ。
ほんとのところは、当人にしかわからないことだろうから。
わかりたい気持ちはめいっぱい持っているってことしかできない。
でも、感じたことを残しておきたいと思ったので、書いておく。