昨日は名古屋YWCA主催の仁藤夢乃さん講演会に参加してきました。
仁藤さんは、ご自身も中高生の頃に家に居場所がなく毎夜、渋谷の街をさまよい歩いていた経験があり、自分と同じような少女たちを支援したいとの思いで女子高生サポートセンターColaboという団体をつくって活動されている。
講演では、自分自身の経験や、Colaboの活動を通して出会う少女たちの話をたくさん紹介してくれました。
簡単には解決できない問題が幾重にも重なって、そのしわ寄せを少女たちが自らのココロとカラダを犠牲にして受け止めている現状は、大人として情けなくもあり悲しくもありました。
売春防止法って問題すぎる法律だったんだ。
なんで買春防止法じゃないの!?
少女たちを守る責任は大人にある。
なのに、売る方が悪いって少女たちが取り締まりをされるのが売春防止法。
でも、私はそんなおかしさにさえ気づいてなかった。
売りたい大人と買いたい大人の需要と供給で、少女たちが食いものにされている現実。
そして、その根底には安心できる居場所がないという問題。
虐待、貧困、親の病気、わかってくれない大人たち。
家や学校で安心していられる場所がなく、たとえカラダを売りものにすることになるとしても、そっちのがまだマシと思ってしまう行き場のなさ。
それなのに、少女たちの自己責任だと言われてしまうのってどうなんだろう。。。
あと、そんな環境の家でさえ、ひどい仕打ちをしてくる親でさえ、むしろそんな親だからこそ、親を捨てられない、親を諦められないっていう言葉も印象的だった。
そんな親なら離れればいいって簡単に言うけど、どんな親でも子どもにとっては親。
一番愛されたい対象。
客観的に見てどうであれ、どうしたいかは本人にしかわからないし、本人の思いに寄りそうしかないんだ。
なにをしたいか、どれを選びたいのか、本人のココロの揺れに寄りそうことが支援。
その子がどうしたいのかを尊重して待つ。
私たちにできること。
気になる子を見かけたら声をかける。
「おはよう」
「寒いね」
「気をつけてね」
当たり前の声かけだけでよし。
「買う」「売る」目的以外で声をかけてくれる大人がいるってことが大切。
少女たちが食いものにされてしまうのは、夜中に街をさまよっていても声をかけてくれる大人が他にいないから。
今は、深夜にファミレスやファーストフード、ネットカフェなどにいられなくなってしまって、家にいられない少女の居場所がない。
少女たちが選べる大人、選べる居場所が増えることが大切。
必要なのは特別な支援ではなく「当たり前の日常」
すべての少女に「衣食住」と「関係性」を。
ただそれだけなんだけど、当たり前すぎるからこそ、それが保証されない生活をしている子たちの気持ちに寄りそえないのだと思った。
知らないって罪だし、知らないことで傷つけてしまう怖さ。
少女たちにとって、自分も彼女たちを取り巻く環境の一部なのだと思った。
ということで、いきなり声かけるのは難しくても、現状を知ること、それをシェアすることからならできる。
子どもたちと接するにしても、この現状やColaboの存在を知っているのか知らないのかの違いは大きい。
大きなことを目指さなくても、身近なところから気にかける、心を寄せることが何より大切だなと思いました。